僕と彼と猫と4

「モラトリアムとは」

(昨日からの続きです)

25歳の時は
月に1万円貯金するのがやっとの生活だった。

休みも月に数日しかなくヒーヒー言って
馬車馬のように働いていた。

まさに
働けどはたらけどなお、わがくらし楽にならざり」というわけだ。

それでもぼくは信じてたんだ!
愛があれば大丈夫なんだ!!」と。

今となれば「当時は若かった」の一言に尽きる。

実際にお金も大事だけど
隣に居る彼氏との時間が生活が大事過ぎて
過去も未来も見えてなくて
「今」しか見えてなかったのですよ。

⭐︎⭐︎⭐︎

そんな「現在」は見えていても
「現実」が見えていなかったぼくは
常にフワフワと浮いているようで

つまりは浮世離れ?なんか違う。
『地に足がついていない』状態でした。

「20代も後半戦突入!さぁどうする!?」

そんな26歳になってもなかなか落ち着かず
フラフラとしてました。

正社員の文字に憧れを抱いたり
先の見えない今を生きたり

今が良ければいいのかな?と思っていて
先のことなんて考えなかった。

そんな時に振り返ってみたら
「自分の選択に責任を持ちなさい」
その言葉が出てきた。

仕事を選んだのも、住み場所を選んだのも

何をするにもしてきた選択の連続が
自分をここまで連れてきた。

つまりは自分自身が今の自分をここまで
連れてきたのだ。

「あそこでこうすれば良かった!」

という悔いはあるも

「これはぼくのせいじゃない!!」

という責任転換はなくなっていた。

大好きな人と付き合って
愛する大切さを身に染みて感じたり

知り合いが居ない土地で住んでみたり
憧れた東京に住んでみたり
フラれて何日も何ヶ月も泣き続けたり

全ての選択が今の自分を作っていると思うと
少しだけ「生きる」ことに自信がついた。

仕事も初めてではないけど
安定のある仕事に就けて嬉しかったし
「やっと地に足がつけた」と思えた。

『やるじゃん自分!』なんて思った。

そしていつの間にか
モラトリアムは終わっていた。

きっと本来の意味である
「義務や責任を課せられるように
なるまでの時間」では
社会に出て少しでも働けば満たしていた?
と言えるのかもだけど、

気持ち的には地に足がつけるまでは
終わることがなかなかできないものでした。

みなさんはどうかな?

おしまい。

⭐︎⭐︎⭐︎

今日のごはんは肉じゃがです、

関西関東色々違いはあれど

お肉が豚!だったり牛!だったり

きっと家庭により違うのよね?

ではまた明日!

応援よろしくお願いします!(´∀`)♪

同性愛ノンフィクションブログ(ゲイ)・恋のうっし。 - にほんブログ村

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

💡よかったらシェアしてね💡
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次
閉じる